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センター試験2018 国語 現代文

 昨日行なわれたセンター試験2018第一日目の国語、現代文を解いてみた。

 ここ数年、たまに解いている。今回は2問間違えた。惜しい。

 でも、もう受験生では無いから、点数とか設問とかより取りあげられる評論や小説の内容が気になるのだ。思い返すと、学生の頃から実力テストなんかは回答そっちのけで、読むのを楽しみにしていた気がするが・・・・。

 数年前、岡本かの子の「快走」を読んだ時の感動はいまだに忘れられない。「おほほほほほ」などで話題になったことを覚えている人もいるかもしれない。ぶっ飛んでるなどという人もいたが、私は今この時代に読ませてくれてありがとう、と思った。戦前の自由を失って行く日本人の生活の中で、ただ走りたくなる10代の少女の衝動を描きながら、笑い声にも託されたであろう生命の輝き、何にも縛られない躍動を感じさせてくれる文章だったから。何となくキナ臭いこの時代に、忘れてはならない何かに気づかせてくれたから。

 

 今年も読みながら、こんな素敵な文章を紹介してくれてありがとう、と思いながら読んだ。

 

 まず評論。有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ ー集合的達成の心理学』から。「デザイン」というと、物を売るためにオシャレにパッケージや物を作るというイメージしかない人が多い現在の日本。この文章でもっと大きな意味と価値、そして可能性があることに気づいてもらえたらと、読みながら「そうだ、そうだ、そうだ」と血がたぎってきた。途中から冷静に読むのが難しくなるくらい。

世界で「デザイン思考」の重要性が当たり前になりつつある今、日本の現状はあまりに寂しい。デザインやアートの持つ価値を低く考えすぎる人が、あまりに多すぎる。資源がない国だからこそ「アート」や「デザイン」つまり「文化」の力をもちいて豊かにした方が良いのに。

 

 そして小説。井上荒野『キュウリいろいろ』から。読み進めば進むほど、切ない気持ちが広がった。人を大切に思うこと、誰かと一緒に暮らすこと。綺麗なことばかりじゃないけど、それでも思い出があるから人は生きていける。なぜ、これほど心のひだに寄り添うような文章表現ができるのかと、作者の小説家としての力量にクラクラきた。主人公の意識の中で時間を自由に遡りながら、後悔とささやかな幸せをじわりと抱きしめる様子は、派手な演出などないのに胸に迫る。

 一つ一つの出来事が、思い出を作り、思い出が人を作り、人はまた新たな思い出を作るために歩み始める。よし、また一歩踏み出そう。

 

 こんな素敵な文章が、これからも過去問として若者に読み継がれていくことが、ちょっぴり嬉しい。